Durstのブログ

主な関心は、言葉、記号、旅など。頭に浮かんだことを、備忘録のように雑記します。

バラク・オバマ大統領の広島での演説(全訳)

新聞などで発表されている訳文に納得できないので、自分で訳してみました。ニュースの解説を通して知るのではなく、全文を読むべき内容です。ニューヨーク・タイムズの文字起こしを底本としました。引用や転載は自由です。

 

  *   *   *   *   *   *   *    

 

71年前、雲もない晴れた日の朝に、この空から死が降り注いで世界を一変させてしまいました。閃光と巨大な爆発がひとつの都市を破壊し、人類がみずからを破壊する手段を手にしたことを世に示したのです。

わたしたちが、ここ広島にやってきた理由は何でしょう。それは、まだそんなに遠くない過去に解き放たれた、残忍な暴力について考えてみるためです。わたしはちは、亡くなった人々を弔うためにやってきました。子供を含む10万人以上の日本人の男女、何千人もの朝鮮半島出身者、12人のアメリカ人捕虜などの死者を悼むためです。

彼らの魂が、わたしたちに語りかけてきます。自分の心を覗き込んで、自分は何者なのだろう、どんな人間になれるのだろうと自問するよう促してきます。

広島が特別なのは、戦争の被害があった場所だからではありません。戦争の遺構は、暴力的な紛争が人類の歴史のはじまりから続いてきたことを教えてくれます。私たちの先祖は石英から刃物を造り、木から槍を造り、このような武器を狩りばかりではなく人間同士の戦いにも使用してきました。すべての大陸で、文明の歴史は戦いに満ち溢れています。原因は食糧難であったり、金塊への欲望であったり、熱狂的な愛国心であったり、宗教的な情熱であったりしました。帝国は栄え、滅びました。人々は虐げられ、ときには自由を許されました。そのさまざまな岐路で、無辜の人々は苦しみ、繰り返し搾取されながら、その存在を忘れ去られてきたのです。

広島と長崎で残酷な結末を迎えた世界大戦は、当時の世界でもっとも豊かな、もっとも力を持った国々によって戦われました。その国々の文明は、見事なまでの都市を世界各地に建設し、芸術を創り出していました。国内には、未来を見通した正義、調和、真実の思想を抱く先進的な考えの人々がいました。しかしその同じ場所から、支配や征服の本能が芽生え、古い原始的な部族同士の争いがかたちを変えて増幅されるように湧き上がり、戦闘能力だけは新しく進歩させながら、新しい思慮もなく戦争が巻き起こったのです。

わずか数年のうちに、およそ6千万人もの人々が亡くなりました。わたしたちとどこも変わらない、老若男女たちです。撃たれ、殴られ、歩かされ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいきました。あの戦争を記憶するための遺構は世界中にあります。英雄的な行為を称える記念碑や、墓や、廃墟となったキャンプで、語られることのない悪行が声なき声によって木霊しています。

しかし、この空にきのこ雲が立ち上がった画像を見ると、わたしたちの心には、人間性というものが持つ本質的な矛盾がはっきりと浮かび上がってきます。人類が他の種族よりも優れていることを示す思想、想像力、言語、道具作り。自然から自分を分離させ、みずからの意思で自然の姿を変えていく能力。まさにこのような能力が、身のほど知らずな破壊力にも変わってしまうのです。

物質的な進歩や社会の変革のせいで、わたしたちはどれだけこの真実を見失ってきたのでしょう。より重要な大義のためだといいながら、どれだけ暴力を容易に正当化する習性を身に付けてきたのでしょう。

あらゆる素晴らしい宗教が、愛と平和と公正さへの道筋を約束しています。しかし信仰の名のもとに他者を殺す権利があると主張する者を、ひとりも生み出さなかった宗教はありません。

国家が生まれ、人々をひとつに結びつけ、自己犠牲と協働を促すような物語を作って見事に躍進を成し遂げました。しかしその同じ物語が、自分たちと異なる人々を抑圧して非人間的に扱うことに利用されたことがあまりにも多くありました。

科学のおかげで、わたしたちは海を越えて交信し、雲の上を飛び、病気を治し、宇宙の摂理を理解することができます。しかしこのような発見が、いまだかつてない高効率な殺人マシーンを生み出してしまうこともあります。

近代戦争の歴史は、この真実を教えてくれます。広島が、この真実の証人です。技術的な進歩は、それと同等な人間社会の進歩がなければ、破滅への道を開くこともあるのです。核分裂を操るような科学的革命が起こるときは、人間の道徳にも革命が必要です。

わたしたちがこの場所へやってきた理由は、まさにこの点にあります。この町の中心に立って、爆弾が落ちたときのことを想像しなければなりません。惨事を目の当たりにした子供たちの恐怖を感じましょう。声なき叫びに耳を傾けましょう。あの悲惨な戦争で殺された無辜の人々のことを忘れません。それ以前の戦争で殺された人々のことも、その後から起こった戦争で殺された人々のことも忘れてはなりません。

このような苦しみを言葉で表すことはできません。しかしわたしたちは、みな歴史の真実を直視する責任があります。そしてこのような苦しみがもう起こらないようにするには、どのようにして行動を変えていかなければならないのかを問う責任があります。

いずれ被爆者の方々の証言を直接聞くことができなくなる日もやってきます。しかし1945年8月6日の朝の記憶が、色褪せるようなことがあってはなりません。この記憶があるからこそ、わたしたちは現状に満足しきった独善と闘うことができます。この記憶があるからこそ道徳的な想像力をはたらかせ、自分たちを変えることができるのです。

あの運命の日を境に、わたしたちは将来の希望につながる選択をしました。アメリカ合衆国と日本は、同盟関係だけではなく友情を着実にはぐくんできました。その友情は、戦争を通じて得られるよりもはるかに多くの大切なものを両国の人々にもたらしました。ヨーロッパの国々は、かつての戦場を貿易と民主主義の絆で置き換えるべく、ひとつの共同体を建設しました。虐げられた人々と国々が、自由を勝ち取ったのです。国際社会は戦争を防止し、核兵器の規制を目指して縮小し、最終的には廃絶させるためにさまざまな機関や条約を成立させてきました。

しかし、国同士の武力攻撃、テロ行為、政治腐敗、残虐行為や圧政はいまでも世界各地で見られ、わたしたちの仕事に決して終わりはないことを示しています。人間が悪事をなす能力までは取り除くことができないでしょう。ならば国々や同盟によって、わたしたち自身を守らなければなりません。とりわけ私自身の母国のように核兵器を保有する国々は、恐怖の論理をあえて持ち出さない勇気を持ち、核兵器のない世界を希求していかなければなりません。

わたしが生きている間に、この目標を達成することはできないかもしれません。しかし努力を持続させることで、悲劇的な結末を遠ざけることはできます。核兵器の廃絶に至る道筋を描くことはできます。新しい核保有国を増やさないようにして、この殺人兵器が狂信者たちの手に渡るのを防ぐことはできます。

しかしそれだけでは十分でありません。今日の世界を見るに、粗末なライフルや手榴弾でさえも、恐るべき規模の暴力を支えることができます。わたしたちは、戦争それ自体への考え方を改めなければなりません。外交によって紛争を防ぎ、紛争が始まってしまった場合にも終結に向けて手を尽くさなければなりません。わたしたちの相互依存関係を発展させることが、暴力的な競争に代わる平和的協働のきっかけを与えてくれるのだと理解しなければなりません。他者を破壊する力ではなく、ものごとを築き上げる力によって国力を計らなければなりません。そしておそらく何よりも大切なことは、わたしたち一人ひとりが、人類というひとつの種族のメンバーとしてお互いの関係を見直すことです。

なぜなら、これもまた人類のユニークな特徴だからです。わたしたちは、過去の過ちを繰り返す遺伝子に縛られているわけではありません。わたしたちは学べます。わたしたちは選べます。わたしたちは子供たちに、今までとは違う物語を伝えることができます。戦争などはあってはならないもので、残酷な行為を容易に受け入れることなどできないという、わたしたちに共通する人間性を示した物語です。

このような物語は、被爆者たちのなかにもあります。本当に憎んでいたのは敵ではなく戦争であったと気付き、原爆を投下したパイロットを許した女性がいらっしゃいます。原爆で亡くなったアメリカ人たちの遺族を探し出した男性がいらっしゃいます。彼はアメリカの遺族たちの喪失が、自分自身の喪失と同等であると信じたのです。

わたしの母国の物語は、シンプルな言葉で始まりました。「すべての人間は平等につくられており、創造主によって生存、自由、幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」。この理想の実現が、容易だったためしはありません。アメリカ国内でも、アメリカ国民同士でさえもそうなのです。しかしこの物語に忠実であり続ける努力には価値があります。これは希求されるべき理想であり、大陸や海を越えて広く共有されるべき理想です。一人ひとりの個人にある、減らすことなどできない価値。すべての命が宝物であるという断固とした主張。わたしたちが同じ人類の家族だという、本質的で欠くべからざる視点。このような物語を、わたしたち全員が語り継がなければなりません。

そのために、わたしたちは広島にやってきました。私たちが愛する人々のことを想うためです。朝いちばんに見る子供たちの笑顔。食卓でふれあう夫や妻。やさしく抱きしめてくれる親。そのような素晴らしいひとときについて想いを巡らせ、まったく同じように大切な瞬間が、71年前のここにも存在したことを知るために来たのです。

ここで亡くなった人々は、わたしたちのような人々でした。世間一般の人なら、理解できることだと思います。彼らはもう戦争を望んでいません。科学の力が、生活の破壊ではなく、生活の向上に使われるべきだと願っています。国々の選択が、指導者たちの選択が、この単純明解な英知を反映したものとなるとき、広島の教訓がはじめて意味のあるものとなります。

この場所で、世界は永遠に変えられました。しかし今日、この町の子供たちは平和に暮らしています。なんと素晴らしいことでしょう。この平和を守り、すべての子供たちに広げていくことに意義があります。それこそが、わたしたちの選択できる未来です。そのような未来で、広島と長崎は、核戦争時代の幕開けとしてではなく、わたしたちがみずからの道徳を覚醒させた最初の出来事として伝えられていくことでしょう。