Durstのブログ

主な関心は、言葉、記号、旅など。頭に浮かんだことを、備忘録のように雑記します。

ロンドンバーの朝鮮系ロシア人

 さあ、あなたも今日から、英語のシャワーを浴びよう。お決まりの広告だ。意味がわからなくとも、黙って聞いていれば英語が口をついて出てくるのだとか。言いたいことはわかるが、そのシャワーは、日本語がまったく通用しない環境で浴びなければ効果がない。

それでも旅行者として浴びる外国語のシャワーは、心地よく旅情を掻き立ててくれる。読み取れない情報は、勝手な想像をかきたてる。そういう異国情緒を手軽に味わいたいなら韓国がいい。街を埋め尽くすハングルの洪水は、漢字はもちろん、西欧のアルファベットよりはるかに「わからん度」が高い。

そんな国の繁華街でビールを飲もうと決めたら、さまざまな想像を巡らせて店を選ばなければならない。ここは釜山の赤線地帯。ガイドブックによると「観光客立入禁止」だが、通りの看板は外国語だらけだ。米軍関係者やロシア人船員を相手にした妖しげなサービスがおこなわれているらしい。金髪美人が「何か御用?」とばかりに視線を投げてくれるが、隣に掲げられたハングルとロシア語が判読不能なので、目を逸らして歩く。

頼りない言語能力で渡り合う度胸もなく、かといって好奇心は捨てきれず、3往復ぐらいしてから意を決して「LONDON BAR」に入った。看板の文字が読み取れた唯一の店という、ヘタレな選択である。ドアを開けるなり、怪訝な顔をしたアジュンマが韓国語で何か鋭く言い放つ。黙ってカウンターに座ると「どこから来たのか」と英語で尋ねてきた。日本だと答えると途端に表情が穏やかになり、冷えたビールを出してくれる。どうやらこの店は韓国人禁制らしい。

痩せた小柄なホステスが「ハロー」とやってきて、隣に座る。「どこから来たの? 日本? ラムコーク飲んでいい?」という流れで、その後もラムコークは5杯もお代わりした(たぶん中身はお茶)。2人分の酒代以外にサービス料はなく、明朗会計ではある。

彼女はサハリン生まれの朝鮮族で、日本人と共に渡った労働者の末裔だ。母語はロシア語で、朝鮮語は民族の言葉として学んだという。生まれ育ったサハリンから釜山に来たのは6ヶ月前。そこから独学したという英語も達者だ。「LONDON BAR」という店名は、「英語オーケーのホステル勤務」という米兵向けの記号なのか。彼女のサービスがおしゃべりだけなのかどうかは聞かなかった。こちらにその気がないのを察して、柔軟に対応してくれたのかもしれない。

ビール3杯を飲み、ほろ酔い気分で店を出る。やや落ち着いた気分で、再び小さな歓楽街を歩いた。まったく読めないロシア語やハングルも、「エカテリーナ」とか「済州島」とか、ただの他愛もない名称なのかもしれない。尻込みしてしまうのは、実際の言葉よりも、この町の暗黙のルールを始めとするコンテクストを読み違えるのが怖いからだ。

朝鮮語もロシア語も、最低限の挨拶以上には上達できないだろう。熱湯でもいいから浴びてやろうという覚悟がない限り、外国語のシャワーに本当のご利益はないのだから。